후리가나로 읽는 일본 고전
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てつがくにゅうもん
哲学入門
三木 清
三木 清의 哲学入門(てつがくにゅうもん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 110,592자 · 219화면
物が表現的に我に臨むということは、主観的な我を否定すべく我に迫ることである。知るということも、もと物的表現の世界から喚び起されることである。主観的な我を否定して物をそのものとして認めるところに、対象の要求に従うところに、認識がある。知るということは認めるということである。知ることが認めることであるのは物が元来表現的なものであるためである。対象がリップスのいわゆる「対象の要求」をもって我に臨むというのは、それが表現的なものであるからである。そして我々が良心的であることによって物は我々に対して真に表現的に顕われるのである。
もとより認識にとっては単に良心的であるということだけでは足りないであろう。知識を得るにはその能力がなければならず、従って有能性が問題である。有能性は技術的意味のものである。知識を得るには方法的でなければならず、方法なしには学問はない。学問とは方法的に得られる知識である。方法は一方主観的なものである。対象は方法によって規定される。しかし方法はまた対象から規定される。方法は対象に適した方法でなければならないからである。即ち方法は主観的・客観的なものであり、かようなものとして技術的である。