후리가나로 읽는 일본 고전
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あんごのしんにほんちり
安吾の新日本地理
坂口 安吾의 安吾の新日本地理(あんごのしんにほんちり)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 22,723자 · 45화면
そして王姓をもらってからコマ郡移住までの十三年間にはどこに住んでいたのかということも相わからんのである。
コマ王というのがもう一系統あって、これも武蔵のコマ郡に住んでいたと伝えられている。コマ王好台七世の孫延興王の後で、背奈氏を称したという。天智のとき来朝し、福徳の代にコマ郡に住んだが、その孫の福信は少年時代に伯父行文につれられて奈良の都へのぼり聖武から桓武に至る六朝に仕えたそうだ。伯父行文はなかなか味な詩人である。しかし福徳の系統は史書にもコマ氏系図にも現れていない。そしてその後もわからない。
これはコマ村には関係ないが、隣の飯能に最も関係深い豪族が丹治氏。宣化天皇の子孫多治比古王の子が多治比島。その子孫が武蔵の守となって後に飯能に土着し、今は中山氏を称している。この子孫の分派にもコマ氏があるが、コマ村のコマ氏とは関係がない。
丹治氏の祖、多治比島は持統四年(西紀六九〇年)に右大臣となり、文武四年(西紀七〇〇年)に左大臣となり、翌年死んだ。この大臣の出現モーローとして煙の如くであるが、彼の執政時代は藤原鎌足歿後、石上麻呂や藤原不比等らが現れるまでの臣下の大臣の空白時代に当っていて、彼が右大臣の時も左大臣の時も臣下唯一の大臣、最高の重臣だった。