후리가나로 읽는 일본 고전
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いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ
所謂批評の「科学性」についての考察
戸坂 潤
戸坂 潤의 所謂批評の「科学性」についての考察(いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 10,581자 · 21화면
つまり印象批評では出て来ないものが、印象に対するこの抽象を媒介にして出て来ることが出来る。之が印象自身と印象追跡とに於ける抽象力の働きだ。
公式や学殖というものも、批評に於ては印象からの抽象力として、一定の意義を有っている。公式主義やペダントリーのような弊害を理由にして、公式や教師的学殖の正常な役割を、観念的にゴマ化して了うことは許されない。――さてこうした印象批評の限界から、科学的批評と呼ばれているあの問題が発生するのである。批評が、印象の単にインターサヴジェクティヴにすぎぬ客観性を如何に突き破るか、又、これを突き破って普遍必然性を齎し得るような批評の処方は何であるかという、あの問題だ。
印象批評が何かしら判ったもののように考えられるに反して、科学的批評の方はあまりハッキリしている観念ではない。芸術乃至文学の社会的批評が科学的批評であるかのように考えられたこともある。そして之がマルクス主義的批評であるなどとも、説かれたことがあるし、そういうものとして反対されたこともある。今でもその余波は残っている。例えばいつか亀井勝一郎氏が、社会的常識で芸術を片づける私などがよろしくない、というような意味のことを書いたが、之は私の短所とも長所とも全く関係のないことで、如何にあてずっぽうな噂話しにすぎないかを示すもので