후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ
所謂批評の「科学性」についての考察
戸坂 潤
戸坂 潤의 所謂批評の「科学性」についての考察(いわゆるひひょうの「かがくせい」についてのこうさつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 10,581자 · 21화면
ことが目的にかなったことででもあるなら、もうそれだけで科学的と云っていいではないか、と考えられるかも知れない。印象を忠実に受け取って忠実に記録したら、それが何より科学的ではないか、という一種の論法もある。併しこの議論は或る一つのことを忘れているようだ。
批評がなぜ科学的であることを要求されるかということ、批評が持っている或る特殊の啓蒙的教育的な用途に関するからだ。と云うのは、批評は読者代表が一般読者へ、作品を紹介し見方を先導することであって、つまり一つ一つ読書術を教えるという教訓性を脱し得ない文芸の一ジャンルと考えられる。すると教え得るということと学び得るということとが、他の文芸ジャンルとは多少異る意味で、批評に要求される資格をなす。そこに特に批評の「科学性」への要求の一つがあるのだ。批評はどこかこれが先生味を持っている。老俳優も若輩の批評家を先生と呼ぶのである。批評家は数え得ることを要求される。つまりその意味での科学性を要求される。この教え得ることの材料となるものが、例のシステムである。システムを批評家は読者に教える。読む(或いは又書く)システムを。