후리가나로 읽는 일본 고전
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ぶんげいじひょう
文芸時評
宮本 百合子
宮本 百合子의 文芸時評(ぶんげいじひょう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 7,097자 · 15화면
榊山潤氏の「戦場」は、以上二つの作品が過去に材料を取っているのと異っている。東京で失業に苦しんだ知識人の一人である「私」という人物が、出征して「敵は誰であってもいい。東京にあって私の行く手をすべてふさいでしまった現実が、支那服を着て目前に現れたと思えばいいのだ。こいつが敵なのだ」「人間を歪めるものは戦場よりも寧ろ歪んだ平和だ」「人間性は、すでに今日の巷にあって破壊しつくされているではないか。この上に何の破壊があり得るか」そして、戦いの中に「昂然と身を捨て切った精神に洗われ」「自身の内に英雄を感じ」終結は「この戦場をのりこえて」「善良が不徳でないところまで、私を強くするのだ」という気持を、この作者は語ろうとしている。本多氏の短評では、「私」を出して書いているので作品として成功しがたかったと云われていたと覚えているが「私」を出したことそれ自身に問題があるのではないと思う。「私」と作者の腹のなかとが実はちぐはぐで、「私」の内省と苦悩とが真に読者の肺腑をつく態の真摯な人間的情熱を欠いているところに、この作品の稀薄さが在るのである。
人道主義的なセンチメンタリズムを蹴たおして、仮借なく現実を踏み越えて生きようとする気組も、作品として十分の落付いた肉づけ、客観的な描破力を伴わないと、結果としては案外に単純な神経性