후리가나로 읽는 일본 고전
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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
原 勝郎의 東山時代における一縉紳の生活(ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 69,142자 · 134화면
文亀二年になって売物に出た小座敷を買入れて、これを邸内に建て直したとあるのは、これは子なる公条がこの年十六歳でその春には右中将に転じたほどであるから、だんだん家が手狭になったによっての故であろう。この建直しの普請のために、以前の堀を埋めて別に掘り直したとある。永正六年には公条邸の南面に水門を掘らしめ築山をも造った。しかして矢倉の方はその一年ばかり以前に取り毀ってしまった。南隣に住まわれた不遠院宮は文亀四年に薨ぜられたが、その後はその邸もあるいは実隆の差配に属したのかも知れぬ。大永七年に花山家からして借入れを申込まれた時に、実隆は今仁和寺宮の衆が宿舎としているから、貸すわけに行きかぬると断わっている。
住宅は先ず右のとおりであったと仮定して、次にそれに住した家族について説こう。実隆の父は長禄四年に六十三歳をもって薨じたのであるが、そのとき実隆の年甫めて六歳。その後は専ら母親の手塩に育った。故に実隆は父を懐うよりも母を慕う情が深く、父の墓所二尊院に参詣するよりも、しの坂の母の墓に謁する方が、思い出の種も多かったのである。母というのは前にも述べたごとく、甘露寺親長の姉で、寡婦となってのち子の傅育に忙わしかったが、文明二年十月の末実隆が十六歳に達し、従四位下少将まで進んだ時、鞍馬寺において落髪した。