후리가나로 읽는 일본 고전
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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
原 勝郎의 東山時代における一縉紳の生活(ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 69,142자 · 134화면
入室以来いっこう学問に身が入らず、実隆も心配しておったが十三歳のとき文殊講をやり、その所作神妙で諸人感嘆したというので、先ず大いに安心した。その得度して名を公瑜と号することになったのは、翌々明応七年十五歳の時である。この間に公条の方は次第に昇進し、明応二年には美作権介を兼ね、三年には従五位上、六年には十一歳で元服、右近衛権少将に任ぜられ、七年の十二月ちょうど兄の得度する少し前に正五位下に叙せられた。それからして父実隆の致仕した永正三年までに、位は正四位上まで、官は右近衛権中将を経て蔵人頭となった。いま一息で公卿補任中の人となるのである。
諸種の事態が輻湊して実隆の辞意を決せしめた。日記永正三年正月二十七日の条に、「孟光いささか述懐の儀あり、不可説の事なり」とある。実隆が夫人から何事を述懐されたのかは記してないから、夫人が引退を勧めたのか、または抑止したのか、その辺は知り難い。とにかく実隆は内大臣にしてもらいたいと歎願に及んだ。一旦大臣になりさえすれば、直ぐに引退するということを、最初からして条件にして願っている。そこで朝廷では空位である左大臣へ、右大臣の尚経を転じさせ、その後に内大臣の公藤を移し、もって実隆を内大臣に任命した。