후리가나로 읽는 일본 고전
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やせがまんのせつ
瘠我慢の説
木村 芥舟
木村 芥舟의 瘠我慢の説(やせがまんのせつ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 5,313자 · 11화면
同二十四年十月、予また幕末の編年史を作り、これを三十年史と名け刊行して世に問わんとせし時、誰人かに序文を乞わんと思いしが、児駿、側に在りて福沢先生の高文を得ばもっとも光栄なるべしという。然れども先生は従来他人の書に序を賜いたること更になし、今強てこれを先生に煩さんこと然るべからずと拒んで許さざりしに、児竊かにこれを携え先生の許に至り懇願せしかば、先生速に肯諾せられ、纔か一日にして左のごとくの高序を賜わりたるは、実に予の望外なり。
木村芥舟先生は旧幕府旗下の士にして摂津守と称し時の軍艦奉行たり。すなわち我開国の後、徳川政府にて新に編製したる海軍の長官なり。
日本海軍の起源は、安政初年の頃より長崎にて阿蘭人の伝うるところにして、伝習およそ六七年、学生の伎倆も略熟したるに付き、幕議、遠洋の渡航を試んとて軍艦咸臨丸を艤装し、摂津守を総督に任じて随行には勝麟太郎(今の勝安芳)以下長崎伝習生を以てし、太平洋を絶りて北米桑港に徃くことを命じ、江戸湾を解纜したるは、実に安政六年十二月なり。首尾能く彼岸に達して滞在数月、帰航の途に就き、翌年閏五月を以て日本に安着したり。