후리가나로 읽는 일본 고전
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しほんたいへいき
私本太平記(七)
吉川 英治
吉川 英治의 私本太平記(七)(しほんたいへいき)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 330,262자 · 662화면
肥後の菊池郡隈府町がその本拠だった。
元々、上古の久米部の兵士の裔でもある。
中頃、後鳥羽院の武者所に勤番し、承久ノ乱にも宮方、元寇の乱にも、率先、国難にあたってきた。要するに、筑紫のくさわけでもあり徹底した防人精神のうえにその家風も弓矢も伝承してきた菊池家だった。いわれのないわけではない。
――こう観てくると。
時の後醍醐が、この九州菊池党へ、秘勅をくだして、早くから筑紫無二のお味方と恃まれたのも、決して偶然なことではない。
さきに、みかどが、隠岐ノ島を脱出して、名和長年の伯耆の船上に拠り、御旗上げをされたさいにも、
「まず第一に、九州では菊池の党へ」
と、密詔の檄は、どこよりもはやく、肥後の菊池城へとどけられていた。
当時。――これを拝して起ったのは、当年まだ四十二の寂阿入道菊池武時――すなわち今の武敏の父だった。
その寂阿武時は、
「わが一代の事、今にあり」
と、おなじ志の阿蘇一族をかたらって、阿蘇火山の噴煙をうしろに、筑後川をわたり、博浪一撃の下にと、博多の北条探題邸の襲撃にむかった。
当年――元弘三年三月に起った博多合戦とその前後のことは――もう先に“船上山”の条から“博多日記”のあたりで一おう書いておいた。