후리가나로 읽는 일본 고전
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しごとしてのにほんご
詩語としての日本語
折口 信夫
折口 信夫의 詩語としての日本語(しごとしてのにほんご)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 13,401자 · 27화면
だが、所謂象徴詩人の象徴詩に現れた言語の、厳格な意味における象徴性と言うものは、実際蒲原有明さんの象徴詩の試作の示されるまでは、夢想もしなかったことだった。私はまだ覚えている。そうした、氏の何番目かの作物に、「朝なり、やがて濁り川……」(後、「朝なり、やがて川筋は……」と言う風に改ったと覚えている)をもって始まる短篇の発表のあった時、我々の心はある感情の籠ったとよみを挙げた、あの感動の記憶を失わないでいる。ただ一種の心うごき――楽しいとも不安なとも、何とも名状の出来ぬ動揺の起ったものであった。もっと我々が静かに思い見る事が出来たのだったら、日本語が全く経験のない発想の突発に、驚きのそよぎを立てていたかも知れないのである。それでも、蒲原氏、ひきつづいて薄田泣菫さん以下の人々の象徴詩に、相当にわれわれにも理会の出来るものが現れた。それを今くり返して見ると、そう言うのは、多くは、譬喩詩に過ぎなかった。われわれは、譬喩詩の持っている鍵をもって、象徴詩を開いたものと思い違えていたこともあったのである。その当時上田敏さん等の仲間で、蒲原氏の創作詩の解き難い部分をふらんす語に翻訳して見て初めて理会したことのあったと言う逸話すら、残っている位である。