일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

かのように

阿部一族・舞姫

森 鴎外

森 鴎外의 阿部一族・舞姫(かのように)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 69,875자 · 141화면

아오조라 문고

土佐国土佐郡潮江(うしおえ)村に住んで五人扶持、十五石を受ける扈従格(こじゅうかく)の家に、弘化元年十一月十一日に生れた。当年二十五歳である。祖父忠平、父を万次郎と云う。母は依田氏、名は梅である。安政四年に江戸に遊学し、万延元年には江戸で容堂侯の侍読になり、同じ年に帰国して文館の助教に任ぜられた。次いで容堂侯の扈従を勤めて、七八年経過し、馬廻格(うままわりかく)に進んだ。それが藩の歩兵小隊司令を命ぜられたのは、慶応三年十一月で、僅(わず)か三箇月勤めているうちに、堺の事件が起った。そういう履歴の人だから、箕浦は詩歌の嗜(たしみ)もあり、書は草書を立派に書いた。

文房具を前に置かれた時、箕浦は、

「甚だ見苦しゅうはございまするが」と挨拶して、腹稾(ふっこう)の七絶を書いた。

「除却妖氛答国恩(ようふんをじょきゃくしこくおんにこたう)。決然豈可省人言(けつぜんあにじんげんをせいすべけんや)。唯教大義伝千載(ただたいぎをしてせんざいにつたえしむ)。一死元来不足論(いっしがんらいろんずるにたらず)」攘夷はまだこの男の本領であったのである。

二十人が暫(しばら)く待っていると、細川藩士がまだなかなか時刻が来そうにないと云った。