후리가나로 읽는 일본 고전
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たかはまきょしちょ『けいとう』じょ
高浜虚子著『鶏頭』序
夏目 漱石의 高浜虚子著『鶏頭』序(たかはまきょしちょ『けいとう』じょ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 6,746자 · 14화면
其限りがあるうちで人の眼につく様に此趣味を出すと云えば作者の嗜好は判然として争うべき余地はない。
虚子の風流懺法には子坊主が出てくる。所が此小坊主がどうしたとか、こうしたとか云うよりも祇園の茶屋で歌をうたったり、酒を飲んだり、仲居が緋の前垂を掛けて居たり、舞子が京都風に帯を結んで居たりするのが眼につく。言葉を換えると、虚子は小坊主の運命がどう変ったとか、どうなって行くとか云う問題よりも妓楼一夕の光景に深い興味を有って、其光景を思い浮べて恋々たるのである。此光景を虚子と共に味わう気がなくっては、始から風流懺法は物にならん。斑鳩物語も其の通である。所は奈良で、物寂びた春の宿に梭の音が聞えると云う光景が眼前に浮んで飽く迄これに耽り得る丈の趣味を持って居ないと面白くない。お道さんとか云う女がどうしましたねとお道さんの運命ばかり気にして居ては極めて詰らない。楽屋も其通り。なかに出てくる吉野さんよりも能の楽屋の景色や照葉狂言の楽屋の景色其物に興味がないと極めて物足らない小説になるかも知れぬ。勝敗は多少意味が違うが兎に角腕白な子供と爺さんの対話其物に低徊拍掌の感を起さなくては意味さえ分らなくなる。