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あるこうぎしょ

ある抗議書

菊池 寛

「中央公論」中央公論社、1919(大正8)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,272 字 · 34 页

青空文庫

その時、私の父は、近所の俥屋を起したと見え綱引で馳付けて来ました。私は、父の顔を見ると、一旦止まって居た涙が再び流れ出るのを感じました。父は、私の顔を見ると、しゃがれた声で、

「どうだ、おとしには怪我はないか」と、申しました。それには、子を思う親の慈愛が、一杯に溢れて居ました。私は、父の言葉を聴くと、胸が閉がって言葉が出ないのです。

「どうだい。一郎もおとしも怪我はないのかい」と、訊き直しました。私はすすり泣きながら、

「姉さんも、兄さんも、やられた」と、云いました。父は遉に声を立てませんでした。老眼をしばたたきながら、黙って家の中へはいって行きました。私が父の後から引返して見ますと、父は姉の屍体を半ば抱き起しながら、

「おとしおとし」と、背中を力強く叩いて居りました。が、そんな事で姉が蘇る筈もありませんでした。父は、姉の屍体を放すと義兄の屍体を抱き上げながら、

「一郎一郎」と、同じように背中を叩いて見ました。が、兄の唇はもう紫色に変って居ました。父は、スゴスゴと立ち上ると老眼をしばたたきながら、

「おのれ! 酷いことをしやがる。酷いことをしやがる」と、云うかと思うと、瘠せた右の手の甲で老顔を幾度もこすりました。