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あるこうぎしょ
ある抗議書
菊池 寛
「中央公論」中央公論社、1919(大正8)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,272 字 · 34 页
「走って行け。すぐ行け。わしもすぐ後から行くから」と、申しました。私は慄える手で、衣服を着換えると、用心の為に台所にありました樫の棒を持って家を駈け出しました。振りかえると母は最愛の娘を襲った変事の為に烈しい激動を受けたらしく、口もろくろく利けないように目をパチパチさせながら、玄関に腰をかけたまま慄え続けて居たようでありました。
私の家から、姉の家迄は十五町位隔って居りました。千葉の町を離れて田圃の中の道を十町ばかり行くと、松林が道の両側にあって、その松林を過ぎると、姉の家を初め、二、三軒の家が並んで居ました。私はその十五町の道を後で考えれば十分位で駈け付けたと思いますが、その夜はその歩き馴れた道がいつもの二倍も三倍もの長い道のように思われました。が、私は、姉の家へ急ぎながらも、姉夫婦が殺されたとは、夢にも思いませんでした。ただ強盗に襲われた為に、気の弱い姉夫婦が、どんなに強い激動を受けただろうかと、そればかりが心配でした。殊に、その為に義兄の病気が重りはしないかなどと心配して居ました。姉夫婦の衣類などの中で目覚しいものは、皆私の家へ預けてありましたから、盗られたとしてもホンの小遣銭位だろうと思いましたから、その点は、少しも心配いたしませんでした。