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そのとし
その年
宮本 百合子
「宮本百合子選集 第五巻」安芸書房、1948(昭和23)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,964 字 · 28 页
それは源一が一度よそながら見合いしたことのある娘なのであった。続々若い者の出征が始ってから、どこでも縁談は当分見合わせの有様となった。
ペンで普通の便箋に書いた源一からの便りが二度目に届いたとき、村は五月雨であった。その年は入梅が長くて降りようも例年より劇しく、苅り入れのすこしおくれた麦畑はどこも水浸しになった。店の低い軒下に立って往来越しに見ていると、むこうの杉林のあたりまで一面水がついて、麦の穂だけが蘆のように雨脚に揺れた。列車が崖崩れの下になって修学旅行の小学生が多勢死んだのもその時季であった。終日鈍く光った雨が退けない水の上へ猶降りつづける様は人々の気を滅入らせた。支那で大砲をどっさり撃つためだと噂があった。お茂登は店の戸をあけ閉てする度に気にして、水の出ている畑地の方を眺めた。数年前まだ父親が存命の頃やっぱり梅雨期にそっちから水が増して来て、米や肥料をぬらすまいと大騒動したことがあった。男手が揃っていたが石灰を幾袋かかちかちにしてしまった。自分一人で、どうなろう。
幸雨はそこまで行かずあがったが、麦は真黒に穂が腐って、小麦の相場はきまらなかった。