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それからそれ

それからそれ

宇野 浩二

書斎山岳文断片

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,848 字 · 10 页

青空文庫

私たちはまだ三十歳を越したばかりの時だったから、「木曽福島」という名に憧れたのだったかも知れない。近松秋江が或る夏この木曽福島に何日か滞在した時の思出話に、大変涼しい、(それを秋江一流の美文調で聞かされた、)窓を開けると木曽の御岳山が月明の中に聳えているのが見える、――これは何と間違った話であろう。何故なら木曽福島のいかなる高楼に登っても御岳山のオの字も見えないからである。併しこれは恐らく私に劣らぬ机上山嶽家(当時は二人ともこの名にも値しない)であった秋江の空想談か、私が秋江の別の話をそんな風に取ったのか、――という話を私が思出して、先ず木曽福島に行こうと私が云い出したものか、或いは当時は直木も『木曽福島―御岳山―木曽節』などという甘い空想を抱くことが好きだったから、彼が木曽福島行を主張したのか、私は覚えていない。

唯、その時の記憶で最も私の印象に(今でも)はっきり残っているのは、乗換の為に塩尻駅で下りた時、満目悉く枯れ尽くした桑畑が日の下に曝されている野の果に、北アルプスの山々が、全山雪に蔽われているかと思われる程、余り白くて、じっと目を据えて正視できない程、二月の晴れた空の下、輝いていたパノラマ風の眺望である。