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なよたけ

なよたけ

加藤 道夫

「三田文学 四・五月号、六月号、七・八月号、九月号、十・十一月号」1946(昭和21)年5月~10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 81,415 字 · 163 页

青空文庫

御覧。太陽が西に傾いた。黄昏が平安の都大路に立籠め始めた。都を落ちて行くものに、これほど都合のよい時刻はあるまい。このひととき、家々からは夕餉の煙が立上り、人々は都大路から姿をひそめる。その名もまさに平安の、静けき沈黙が街々の上を蔽うている……

沈黙。あちこちから静かに鐘の音。

人目をはばかる落人にとっては、これこそまたとない機会だ。うっかりしていると、すぐ夜の帳が落ちかかるからな。暗くならない内に、私は国境いを越して、出来ることなら、今夜のうちに滋賀の国のあの湖辺の町までは何とかして辿りついてやろうと思っている。おや! あそこの善仁寺ではもう勤行を始めたらしい。……文麻呂、やっぱり時間だよ。

文麻呂 大丈夫ですよ、お父さん。まだ大丈夫です。第一、この頃の坊主達のやることなんて何が当てになるもんですか? 勤行の時間なんて出鱈目ですよ、お父さん。どこか一ヶ所でいい加減にやり出すと、あっちの寺でもこっちの寺でもみんな思い出したように、ただ無定見に真似をして鐘を鳴らし始めるだけです。正確の観念なんかこれっぽっちだって持合わせてはいないんですからね。お父さんとの大切な別離の時間が坊主の鐘の音で決められるなんて、そんなことって……僕ぁ、……僕ぁ悲しいな。