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もののかげ

ものの影

豊島 与志雄

「心」1952(昭和27)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,794 字 · 18 页

青空文庫

彦一は腹が立った。田中さんの顔を、殴りつけるように見つめた。

「あすこに、あの小僧が立っていたんです。死神にとっ憑かれて、ぶら下ったみたいにふらりと立って、もう半分死んでいたんです。だから、私は、そいつを張り倒して、頭を石でぶち割ってやったんです。どう思いますか。」

「そりゃあ素敵だ。」

「え、素敵だというのは……。」

「とにかく、素敵だ。」

言葉の調子には何の感動もなく、田中さんは淡々と独り頷いてるだけだった。

「ばかにしてはいけません。私がしたんですよ。」

「素敵だ。」

彦一の方へは眼も向けず、一本松の方も振り向かず、草の茂みごしに遠くをぼんやり眺めている。事柄を理解していないのではないかとも疑えるし、前から知っていたのではないかとも疑えた。

然し、その時、彦一ははっと気付いたのである。あのことについて、聊かの罪悪をも彼は感じなかったし、今でも感じてはいない。だが、なにか、ものの影がさしてきたのだ。何ものの影であろうか。得体の知れないその影が、あの現場に立ち罩めているし、それが彼の上にまで覆い被さってくるようだった。

彼は田中さんを見つめながら言った。