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わがちち
わが父
宮本 百合子
「中央公論」1936(昭和11)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,314 字 · 19 页
林町の家で何か持って歩きながら、思い出したように、
「可愛い細君だった」
と云っていたことがあった。父は母の若い頃の辛抱に対して、自身の晩年の忍耐を捧げていたのだと思われる。
父は自分達の永い結婚生活の回想から、おのずと私の身の上に思いが向かったらしくて、
「それにつけても実にお前は可哀そうだと思うよ」
と云った。
「よくそうやって、いつもにこにこしていられる」
私は何と答えたらいいのだろう。暫く黙っていたが、
「だって、ここにはこういう相当なお皿があるでしょう?」
半ばふざけにまぎらして私は、大きい長椅子の上に向い合って足をのばしている父をさし、さて、
「あっちには」
と、本当の方角はどこか分らないが東京らしい方角をさした。
「ああいう人がいるでしょう? 私は或る意味で娘冥加だし女房冥加だと云えると思っているのよ」
父が亡くなって通夜の晩、妹が、今お姉様とても読む気がしないかもしれないけど、お父様がお姉様にあげるんだって病院でお書きになった詩があるのよ、と云った。父はその英語の詩を書いてどうせ私に読めないだろうから、そこに使ってある字へ皆すじを引いた字引も一緒に入れてやれと云ったそうであった。