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ズラかったしんきち

ズラかった信吉

宮本 百合子

「改造」1931(昭和6)年7~9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,656 字 · 110 页

青空文庫

素早くのび上って、アクリーナは、信吉の顎のところへキッスした。そして一層しなしなした熱い体を信吉にすりよせた。

「どう? ある?」

信吉が返事する間もないうちに、アクリーナは両手で信吉の両手をつらまえ、

「さ」

とベンチから立ち上った。

「行こうよ」

「……どこへだ?」

捉まえた信吉の両手ごと自分の胸の間へたくし込んで囁いた。

「あっちへ……森へ――」

アーク燈に数多い葉の表を照らされ菩提樹の下は暗い。落葉や小枝をピシピシ靴の下で踏みながらアクリーナが先へ立って茂みの奥へ奥へと行く。信吉の気分がそうやって歩いてるうちにハッキリとして来た。それと同時に遠方のクラリオネットの音が耳について来た。

「おい」

アクリーナはサッサ歩いてく。

「おい」

「何さ」

「どこへ行くんだよ……俺行かねよ」

アクリーナが立ちどまった。信吉は楽な気分になって、からかう気で、

「絹の靴下ねえから、行かないよ」

妙な顔して、アクリーナがすたすたまた小枝を踏みつけながら戻って来た。ぴったり信吉と向いあい、首をかしげるようにして、

「……嘘云うもんじゃないよ」

――あんまり本気な調子だ。思わず信吉はアクリーナの顔を見つめた。