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チェーホフしろん

チェーホフ試論

神西 清

――チェーホフ序説の一部として――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,618 字 · 41 页

青空文庫

さらにこの孤独者は、なかんずく一切のエクスタシスおよび狂気から切断されているゆえに、必然的に永遠の覚醒状態にありつづける運命をもつ。さらにまた一切の目標から切断されているゆえに、闘争もなく行動もなく、従って多少とも本質的な変化というものもあり得ない。それはサガレン旅行前後の事情についてもはっきり見てとられた。しかも不断の覚醒状態に置かれた人間は、おそらく絶望の権利をも奪われざるを得ないだろう。絶望からの切断――これが人間にとって、じつは一ばん怖ろしいことかもしれないのだ。

ではどういうことになるか。人間的機能のうち、一体何がチェーホフに残されているのか。おそらくは一対の眼だけではないのか。絶対の透明の中に置かれた絶対に覚醒せる、いわば照尺ゼロの凝視だけではないのか。それにもう一つ、「昔ながらの仕来たりに従って、機械的に書く」ことだけではないのか。もっともこの「書く」ということで彼はレトリックを一新しはした。恐らくモーパッサンを乗り超えさえした。だがこれは怖ろしく退屈な仕事ではないのか。せめてその見るもの、従って書くものに、何か美しいものの切れ端でもあればいい。