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ヒルミふじんのれいぞうかばん

ヒルミ夫人の冷蔵鞄

海野 十三

「科学ペン」三省堂、1937(昭和12)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,412 字 · 29 页

青空文庫

愛する夫が、一人ならず二人もあっていいだろうか。あの水々しい頭髪、秀でた額、凛々しい眉、涼しそうなる眼、形のいい鼻、濡れたような赤い唇、豊な頬、魅力のある耳殻――そういうものをそっくりそのまま備えた別の男があっていいものだろうか。

夫人は急にブルブルと寒む気を感じた。

だが夫人の明徹な脳髄は、一方に於て恐れ戦き、そしてまた一方に於てその意味なき幻影を意味づけようとして鋭き分析の爪をたてた。

「――そうだった。そういう一つの特殊な場合が有り得る。しかもそう考えることは、今日ではもう常識範囲ではないか」

夫人はそこで長大息した。

恐ろしいことだ。恐ろしいアイデアだ。恐ろしい係蹄だ。

夫人をして、恐ろしい係蹄だと叫ばしめたものは何だったか。――それは愛する夫万吉郎が果して真の万吉郎であろうかという恐ろしい疑惑であった。

およそこの世に、顔も姿も、何から何までそっくり同じ人間が二人とあろう筈がない――と、確かにその昔には云えた。しかし今日において、それと同じことが確かに云えるだろうか、同じことが信ぜられるだろうか。いやいや、今日においては――すくなくともヒルミ夫人の田内新整形外科術が大なる成功をおさめてから以来においては、そういうことは全く信じられなくなったのだ。