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ヒルミふじんのれいぞうかばん

ヒルミ夫人の冷蔵鞄

海野 十三

「科学ペン」三省堂、1937(昭和12)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,412 字 · 29 页

青空文庫

ヒルミ夫人の生活様式は、同棲生活を機会として、全く一変してしまった。彼女は篤き学究であったがゆえに、新しい生活様式についても超人的な探求と実行とをもって臨み、毎夜のごとく魂を忘れたる人のように底しれぬ深き陶酔境に彷徨しつづけるのであった。

「――いくら何でも、これでは生命が続かないよ」

と、いまは心臆した若き新郎が、ひそかに忌憚なき言葉をはいた。

不良少年として、なにごとにもあれ知らぬこととてはなく、常人としては耐えがたい訓練を経てきた千太郎――ではない万吉郎であったけれど、その広汎なる知識をもってしても遂に想像できなかったほどの超人的女性の俘囚となってしまって、今は黄色い悲鳴をあげるしか術のないいとも惨めな有様とはなった。

「あなた。きょうはまるで元気がないのネ。どうかしたの」

と、薄ものを身にまとったヒルミ夫人は鏡の前で髪を梳りながら、若い夫に訊いた。

「どうしたって、お前――」

と、万吉郎は天井に煙草の煙をふきあげながら、かすれた声で応えた。

「まあ、――」

夫人は鏡面ごしに、このところひどく黄いろく萎びた夫の顔を眺めた。だんだんとこみあげてくる心配が、ヒルミ夫人を百パアセントの人妻から次第次第に抜けださせていった。