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モスクワのつじばしゃ

モスクワの辻馬車

宮本 百合子

「読売新聞」1931(昭和6)年1月1日、4日、6~9日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,305 字 · 17 页

青空文庫

門の内はどうしたのか真暗だ。ここで恐らくは小さい借室第五号への入口を見つけるのは楽でない。日本女は門の方へばっかり気をとられ馬車を降りたら、御者が、

――またかね?

と云った。

――そんなに待たされちゃ、増して貰わなけりゃやり切れない。

日本女を振返らず毒々しい調子だ。彼女は瞬間自分の背中で聴いたことを確めるように立ち止まって御者の顔を見ていたが、静かに、きつく云った。

――この包を見なさい。用事で馬車へのってるのだ。おしゃべりに歩き廻ってるのじゃない。

御者台の上で尻を動かしただけで答えない。日本女はさっさと暗い門の中へ入って行った。

何処でも、馴れないモスクワの門は夜、気味がわるい。広くて、いろんなものが積んであって、人気なくて。その奥に、まるで明るく小ざっぱりと更紗の布をテーブルにかけて女医者マリアが棲んでるので日本女は、びっくりした。室には昔風なペチカ(暖炉)がたかれ、暖かい。丁度茶を飲んでるところで、テーブルに野苺のジャムが出ていた。

――一口お茶のんでいらっしゃいよ。明日の晩はもう飲みたくたって私の家の茶なんぞ飲めませんよ。

――でもね、マリア・アンドレヴナ。