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レモンのはなのさくおかへ

レモンの花の咲く丘へ

国枝 史郎

「レモンの花の咲く丘へ」東京堂書店、1910(明治43)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,016 字 · 142 页

青空文庫

(間)猶太王の袍に似た雲が動き出した。錦の蛇のように長く細く延びて行く。風が吹くからだろう。細く長く延びた雲は日の面を掠めるばかりにして、海の面へ垂れ下がって来る。(間)海は親切の心を持っているように、雲の影を残らずうつしている。(語を強め)海は寛大だ!

従者 (始めより領主の後方に謹んで彳みいる、白髪、忠実質朴の風采、恐る恐る小さき声にて)御前様。

領主 (聞こえぬ如く)海は寛大だ。海は聖人の心のように寛大だ! だがしかし、また法官のように冷やかで厳かで一点の偽りも許さない。仮面偽体虚飾の悪徳は、この海の鏡にうつった時、すっかり化けの皮が剥げてしまう。海は鏡だ。だからあるがままに空の色や光や形が映るのだ。

従者 御前様。

領主 (聞こえぬ如く)それにしても今日の海の美しく平和のことはどうだ。今までもかなり平和で美しい夕べはあったけれど、今日のように漣一つ立たず、飛魚一つ躍らぬと云うことはなかった。今日の静けさは美人の死のようだ。

従者 (気づかわしげに)美人の死のようだ!

領主 (急に振り返り)何時からおまえはそこにいたのか。

従者 はい、先刻からお呼び申しておりました。