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いちぐう

一隅

宮本 百合子

「作楽」お茶の水附属高女同窓会会報第三十九号、1927(昭和2)年12月7日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,258 字 · 5 页

青空文庫

一里半もあるんだってからさ」

「お前傘は?」

「いいよ、平気」

「どうせ家へかえるんだもんね」

「あああ家へかえるんだもの」

婆さんは、偶然の隣人である私の風体を暫く観察していたが、いきなり云った。

「源坊、あぶないよ」

女は、遠い改札口の方をぼんやり眺めたなり鸚鵡返しに、

「あぶないよ本当に」

と、傍に立って車窓を見上げている六ツばかりの男の児の手を引っぱった。白っぽい半洋袴服をつけ、役者の子のような鳥打帽をかぶったその男の児は、よろけながら笑った。

「大丈夫だよ」

婆さんは荒っぽい愛惜を現した顔で子供を眺めながら云った。

「乗りたいの、やっと辛棒してるんだよ。ね? そうだろう?」

「そうさ、今が今まで一緒に行く気でいたんだもの」

「又この次のとき行くさ。どうせ一晩泊りだもん――あっちじゃ伯母さんが来るだろうかねえ」

「さあ」

「来りゃいいのにね、そうすりゃこの間のことだってあのまんま何てことなくなっちゃっていいんだがね」

「来るだろう」

空気枕に頭を押しつけこれ等の会話をききつつ、私は可笑しい、奇妙な心持がした。ばあや、ばあやと呼ばれる婆さんも――恐らく送りに来ている女の母親なのだろうが、その若い女の方も、殆ど絶えず喋る癖に、互にまるで上の空のようであった。