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さんじゅっさい

三十歳

坂口 安吾

「文学界 第二巻第五号」1948(昭和23)年5月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,211 字 · 32 页

青空文庫

そして、

「おやすみ」

と軽く頭を下げた。

それが私たちの最後の日であった。そして、再び、私たちは会わなかった。

私は、塔の中の部屋で、夜更けまで考えこんでいた。そして、意を決して、矢田津世子に絶縁の手紙を書き終えたとき、午前二時ごろであったと思う。ねむろうとしてフトンをかぶって、さすがに涙が溢れてきた。

私の絶縁の手紙には、私たちには肉体があってはいけないのだ、ようやくそれが分ったから、もう我々の現身はないものとして、我々は再び会わないことにしよう、という意味を、原稿紙で五枚くらいに書いたのだ。

翌日、それを速達でだした。街には雪がつもっていた。その日、昭和十一年二月二十六日。血なまぐさい二・二六事件の気配が、そのときはまだ、街には目立たず、街は静かな雪道だけであったような記憶がする。

一しょに竹村書房へも手紙をだした。数日後、竹村書房へ行ってみると、その手紙が戒厳令司令部のケンエツを受けて、開封されているのだ。

してみれば矢田さんへ当てた最後の手紙も開封されたに相違ない。むごたらしさに、しばらくは、やるせなかった。

矢田さんからの返事はなかった。