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さんがいばんれいとう

三界万霊塔

久生 十蘭

「富士」1949(昭和24)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,716 字 · 39 页

青空文庫

一

一

深尾好三はゆたかに陽のさしこむ広縁の籐椅子の中で背を立てた。

「ひさしぶりに会社へ出てみるか」

油雑布で拭きあげたモザイックの床と革張の回転椅子と大きな事務机が眼にうかんだ。押せば信号が返ってくるパイロット式の呼鈴。手擦れのした黒檀の葉巻箱。とりわけ濠洲以来の古い九谷の湯呑……それらは二十年来の事業の伴侶であり、活動の心棒になる親しい小道具どもだった。

深尾は丸ノ内仲之通の古めかしい赤煉瓦の建物の中にある薄暗い社長室を愛していた。昭和産業の大脳部であり、気密室であり、楽屋であり、その部屋で営々と今日の富と地位をつくりあげた。どんなに気持の鬱したときでも、一歩、社長室へ入ると酷薄な打算と創意が潮のように心の中におしあげてきて、疲労も倦怠も忘れてしまうのが常だった。

いくどかおぼえ切れないほど、これが最後だというギリギリの窮境を切りぬけ、人も殺し、ゾッとするような放れ業もやった。浅黒い筋金入りともいうべき身体と、いつも暴れだす用意のある底のすわった眼付で世間に立ちむかい、長い間、人知れぬ苦闘をつづけてきたので風格に確固としたヴァリュウがつき、六十歳を越えていると見ぬける人間はそう沢山はいなかったが、どうしたのか、最近、気持になんとなく違和ができて会社へ出る気もしない。