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ごがつのゆいぶつかん

五月の唯物観

寺田 寅彦

「大阪朝日新聞」1935(昭和10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,225 字 · 9 页

青空文庫

そういう時に軒の雨垂れを聞きながら静かに浴槽に浸っている心持は、およそ他に比較するもののない閑寂で爽快なものである。そういう日が年のうちに一日あることもあり、ないこともあるような気がする。そうだとすると生命のあるうちにそういう稀有な日を出来るだけしみじみと味わっておかなければならない訳である。

若かった時分には四月から五月にかけての若葉時が年中でいちばんいやな時候であった。理由のない不安と憂鬱の雰囲気のようなものが菖蒲や牡丹の花弁から醸され、鯉幟の翻る青葉の空に流れたなびくような気がしたものである。その代り秋風が立ち始めて黍の葉がかさかさ音を立てるころになると世の中が急に頼もしく明るくなる。従って一概に秋を悲しいものときめてしまった昔の歌人などの気持が自分にはさっぱり呑みこめなかったのであった。それが年を取るうちにいつの間にか自分の季節的情感がまるで反対になって、このごろでは初夏の若葉時が年中でいちばん気持のいい、勉強にも遊楽にも快適な季節になって来たようである。

この著しい「転向」の原因は主に生理的なものらしい。試みに自分のあやしげな素人生理学の知識を基礎にして臆説を立ててみるとおおよそ次のようなことではないかと思う。