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にんげんさんすいずまき

人間山水図巻

吉川 英治

「東京 創刊号」1947(昭和22)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,343 字 · 21 页

青空文庫

そして酒をのませ粥など食べさせてみると、この老人のはなしぶりや態度には、どこか飄乎たる風があって、わざとらしくなく、また慾得もなければ愚痴もなく、聞いていて清流に耳を洗われるような気がした。

『大行山も、この辺りは、もっとも景がよろしい。李思訓の山水画でも見るようじゃ』

『へえ、どこがね』

と訊き返してから、蕭照はふと、以前の自分には多少あった書巻の智識を、久しぶりに身に思い出そうとしてみた。が、そんなことを努めてまで話しているのは面倒にもなって、

『この辺の景色がそんなに気に入ったなら、幾日でも泊ってゆくがいいさ』

と云い放した。そしてその晩以後は、この老画師が山寨にいるかいないかも忘れていた。

が、稀、彼が念頭にない老画師の姿を、おおまだ居たのかと、見かける時は、老画師はいつも画冊と絵筆を手にして、山を写し、渓流に見恍れ、まったく自然の中に溶け入っているような姿の人であった。

『よく飽きないものだな』

折には、蕭照も、絵筆の手元を、のぞき込んでみたりしたが、何の感興も共にすることはなかった。

老画師はそのうちに、自分から下の山寺へ居を移し、その後は、この山寨で見かけることも稀れになった。