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はいくにおけるしょうちょうてきひょうげん
俳句に於ける象徴的表現
種田 山頭火
「樹 八号」1914(大正3)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 830 字 · 2 页
井泉水氏は印象詩乃至象徴詩としての俳句について屡々語られた。しかし俳句に於ける象徴の本質に就ては説かれない。筆端が時々此問題に触れたとも言うべき程である。私は此の根本的説明に接するを待つよりも、こういう問題はお互に協力して研究すべきものではないかと思う。
病雁の夜寒に落ちて旅寝かな 芭蕉
僅かの花が散りければ梅は総身に芽ぐみぬ 井泉水
わが足跡人生ひてわれにつゞく朧 地橙孫
陽の前に鳥ないて安らかな一日 鳳車
これらの句を読んだ時、私は或る物を掴んだように思うた。私の心がぱっと光輝したように感じた。かかる傾向は層雲を中心とする人々ばかりの間に起ったのではかい。他の二三氏によっても試みられつつある。
象徴(symbol)が符号(sign)と同じ意味であった時代は既に過ぎて了った。象徴は生命の刹那的燃焼の表現を外にして自己を全力的に表現し得ないのである。かるが故に象徴的表現しか自己を表現し得ない場合に於て、換言すれば或る刹那に於ける自己表現の方式として唯一の象徴的表現が存在する場合に於て象徴的表現は最大の効果を発輝するのである。