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きずあとのはいけい
傷痕の背景
豊島 与志雄
「中央公論」1929(昭和4)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,022 字 · 38 页
……この人は俺に、学費を与えることによって、奴隷根性を押付けるつもりではなかった筈だ……。
生活の距りが大きくて、話の接穂がないだけに、杉本は、そんなことを考えるのである。田代さんに、自慢話をするだけの老いこんだ自惚か、杉本に、気焔をあげるだけの軽薄な自信か、それが少しでもあったならば、その場は救われるのであろうが、生憎……。
だが、床柱を背に、後輩の代議士や実業家に囲まれてる田代さんも、やはり、杉本を晩酌の相手にしてる時と同じように、話頭の及ばない高みにあって、にこにこしながら、うまそうに酒を飲んでるのである……。
旋風の中の、そこだけ静かな、中心点……。この人は今に何かやるな……とそう杉本も思うのである。――
杉本は顔を挙げた。田代芳輔が通りかかっていた。杉本は立上った。
「やあ……。」眼にちらと、微笑の閃めきがよぎった。「ゆっくりしていってくれ給え。」
それだけで、彼はもう次の人へ眼を向けていた。
杉本はその後姿を見送った。最初の挨拶の時は兎も角、こんどは何か……。と思っていたのが、「ゆっくり議論を闘わしてみたい、」どころか、まるで違っていた。