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わかれのじ

別れの辞

豊島 与志雄

「中央公論」1935(昭和10)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,330 字 · 37 页

青空文庫

馴染の家には不義理が重ってるという殊勝な遠慮は多少あったかも知れないが、然し酒飲みの足取りというものは、そんなことにさほど気兼ねするものではないし、島村はまだそれほど窮迫してもいなかった筈だ。つまり、島村は従来の軌道からそれて、私達の間から姿を消すことがあって、それは酔っ払いの性癖に反するものであり、彼の生活に何か異変があることを暗示するものであった。だから、あの晩の奇怪な行為も突発的なものではない、と私は思うのである。

その晩、私達は「笹本」で飲んでいた。これは、一寸した小料理屋で、表よりに、長卓に腰掛の並んでる土間があり、奥に、畳じきの小さな室が二つあって、料理も酒も相当によく、芸者づれの客なども時折ある家だった。私達は古くからの馴染みで、一人でぶらりと出かけていっても、大抵仲間の誰かに出逢った。その晩も、長尾と大西と宮崎と私と、四人が落合った。

ところで、その晩のことなのだが、一体、飲み仲間というものは、ひどく親しくもあればまた疎遠でもあって、お互に赤裸々にぶつかり合うこともあり、仮面で押し通すこともあり、而もそれがいろいろ交錯するので、その間の真相はなかなか捉え難い。