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じゅうばんざっき
十番雑記
岡本 綺堂
「思ひ出草」相模書房、1937(昭和12)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,745 字 · 16 页
狸はここらの名物であるらしい。地形から考えても、今は格別、むかしは狐や狸の巣窟であったらしく思われる。私もここに長く住むようならば、綺堂をあらためて狸堂とか狐堂とかいわなければなるまいかなどとも考える。それと同時に、「狐に穴あり、人の子は枕する所なし」が、今の場合まったく痛切に感じられた。
しかし私の横町にも人家が軒ならびに建ち続いているばかりか、横町から一歩ふみ出せば、麻布第一の繁華の地と称せらるる十番の大通りが眼の前に拡がっている。ここらは震災の被害も少く、勿論火災にも逢わなかったのであるから、この頃は私たちのような避難者がおびただしく流れ込んで来て、平常よりも更に幾層の繁昌をましている。殊に歳の暮に押詰まって、ここらの繁昌と混雑は一通りでない。あまり広くもない往来の両側に、居附きの商店と大道の露店とが二重に隙間もなく列んでいるあいだを、大勢の人が押合って通る。またそのなかを自動車、自転車、人力車、荷車が絶えず往来するのであるから、油断をすれば車輪に轢かれるか、路ばたの大溝へでも転げ落ちないとも限らない。実に物凄いほどの混雑で、麻布十番狸が通るなどは正に数百年のむかしの夢である。