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ちよこ

千世子

宮本 百合子

「宮本百合子全集 第二十八巻」新日本出版社、1981(昭和56)年11月25日

N3 · 进阶 · 新字新假名 · 83,104 字 · 164 页

青空文庫

「何故Hさんはこのまんま動きもしない食べもねもしない美術品になって居なかったんだろう。

若しそうなって居て呉れたら私は夢中になって恋をする事が出来たかもしれないのに、――」

フッと千世子はそんな事さえ思った。

夜の十時すぎまで居て、

「左様なら――いい夢を御らんなさい」

と云ってかえって行ったHはいかにも悲しい事のある様にうつむいて暗い道をたどって行くのが千世子をにわかに弱い気持にさせてしまった。

「私達はどうしていいんだかわからなくなって来る」

千世子は小さくつぶやいてその晩はろくにねないでしまった。

それからあとも、Hと二人きりで居る時母親がガラス戸に耳をつけて話をきいて居る事の度々あるのを千世子は知って居た。Hも知って居た。そうした時に二人はかるく淋しい様な口元をして笑い合った。

「取りこし苦労をしていらっしゃるんだ!」

こんな事を話の間にはさんだ事もあった。

千世子は何にもする事のない時ジッと考えに沈んだ時なんかに、

「私をとりまいて居る三人の人の中で私は、一番Hをすきがって居るそいで一番私のすきな事を沢山具えて居る人だ!」

「Hさんはああやって毎日毎日悲しそうな目つきをしてこれからあともひとりぼっちで暮すんかしら……」