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ねむのきのかげ

合歓木の蔭

山本 周五郎

「新読物」交友社 、1948(昭和23)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,740 字 · 27 页

青空文庫

「来年になったら、この合歓木は」こう男が云った、「――私たちを夢のようにおぼろな花笠でおおってくれるでしょう……」

来年になったら。奈尾はふと眼をあげた、いまはまだ花期には早いのに、どうして今年咲かないことがわかるのだろう、そう思ったとき奈尾はああと口を押えた、眼に見えぬ手で躯を真二つに裂かれたような、非常な驚愕にうたれたのである。

――まさか、まさかそんなことが。

彼女は全身を耳にしてささやきの声を聞いた、舌のさきだけで語るごく低い、かすかな声である。生垣を隔ててからくも聞きわけられるだけだ、しかし心をとめて聞けば隠しようのない抑揚に気がつく、言葉の切り方にある癖もその人のものだ。奈尾は喪心したように合歓木の樹蔭をはなれた、ほとんど夢中で、よろめきよろめき家に帰った。

寝間の夜具の上に坐り、眼をつむって初めからのことを思い返した。――そうだ、椙原の家の庭で夜宴のあったとき、あの人は誰よりも遅れて、それもあんなに急いでかけつけて来た。あの人は奈尾をよく知っている、奈尾になにが必要だかということも……あの人は喜んで合歓木を植えてくれたではないか。同じ家に寝起きをしていて、五日めごとの庭の忍び会いを気づかないはずもない。