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よばれしおとめ

呼ばれし乙女

岡本 かの子

「令女界」1938(昭和13)年8月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,165 字 · 11 页

青空文庫

「僕が望んでいた曲の感じを掴えたよ、ありがとう千歳さん」

二人は夕方、元箱根の物静な旅館に入った。入浴が終ると千歳は縁側に出て空を仰ぎながら言った。

「もう暮れ出したのね。私そろそろ東京へ帰らなければ」

すると慶四郎はつかつか立って来て千歳の傍へ来た。そして率直に言った。

「東京へ帰らないで、これから僕と一緒に何処までも行ってお呉れ、千歳さん」

「まあ、何故」

「僕、今度、またすばらしい夢を思いついたんだよ」

千歳はとうとうこんな事になったのかと溜息をした。と同時に急に姉の泣き笑いの顔、それによく似た亡き母の面影までも二重になって千歳の眼に泛んだ。千歳はおろおろ声になって、

「後生だからそんなこと言わないで、あなたはお父様にお詫びして姉様と一緒になって――」

千歳が思わず取縋った慶四郎の手から、却ってぴりぴりするような厳しい震えを千歳は感じた。

「姉さんは、僕にたった一つの夢しか与えなかった。あなたは僕に取って無限の夢の供給者だ」

「でも……」

「姉さんには気の毒だ。でも、芸の道は心弱くては行かれない道だ……それに千歳さんだって僕を嫌いではない筈だ」

千歳は始めて剛腹な慶四郎が、涙を零すのを見た。