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さかたのばあい

坂田の場合

豊島 与志雄

――「小悪魔の記録」――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,335 字 · 29 页

青空文庫

君をもその点でだけは嫌いだ。もうあんな……不徳義な真似はしないんだろうね。一体、人間の身体を金で買えるものだと思うか。大間違いだ。僕たちが反抗するのは、ただその点だ……。」そんなことを彼はくり返し饒舌りたて、次には、妹の健気な気性をほめ、次には、母親の病気のことや、幼児をかかえてるひ弱な妻のことなど、困窮な家庭生活の内面を曝露するのだった。

鮨屋から出て、もう人通りもとだえがちな街路で、坂田はきっぱり立止って、中津に十円紙幣を二枚さしつけた。中津はきょとんとしていた。

「取っておけよ。あれからまた一二度借りに来たじゃないか。今日はいらないのかい。もう僕は酒はのめない。これは残りのおつりだよ。」

中津はふらふらしながら、黙って金を受取った。

中津をそこに置いて、坂田はさっさと歩きだした。「犬のような眼をして、どこまでもついて来やがる。」そう口の中で云って、それから何度かまた繰返したが、ふしぎに、頬に一筋涙を流していた……。

それらのことも、すっかり酔っていた彼等二人にとっては、濃霧の中での出来事に過ぎなかったかも知れないが、然し、敏子に対する坂田の言葉は、あまりに白々しすぎるものだった。