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しおばな

塩花

豊島 与志雄

「世界」1946(昭和21)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,421 字 · 25 页

青空文庫

鼻毛と指先のささくれ、これが何より禁物である。そういう身だしなみを、恋する者は当然に持たなければならない。なぜなら、恋は精神の美しさを要求し、その表現たる身体の清潔さを要求するからだ。当事者にとって、恋はすべて美しく清く、恋人はすべて美しく清く、随って恋する者自身も、美しく清くあらねばならぬ。醜く穢れた者の恋愛などは、自家撞着の甚しいものだ。もっとも、敗戦と衣食住窮乏と栄養不足とのこの時代には、多少の……。

多少の……例外は、彼自身にもあった。殊に、身だしなみとは何の関係もない生れつきの方面のことは、どうにも仕方がなかった。彼の手の甲の静脈は、三十五歳の年齢にしては余りに太すぎて、酒を飲んだり昂奮したりする時には、盛り上った網の目を拵えた。それから、横額の皮膚に、ごく薄くではあるが、点々と汚点があって、余りにととのって何等の特長もない顔立だっただけに、よけいに目立った。それら二つのことについて、彼は、栄養による手の甲の肉附と、栄養による額の皮膚の色艶、つまりは栄養に、救済を求めていたのである。だが、それほどの栄養を摂取することは出来なかった。彼はさほど富裕ではなかったし、また倹約家でもあった。