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よるのくつ

夜の靴

横光 利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页

青空文庫

傘は自分の方から取りに行くといって私たちの住所だけ訊ねたということだった。今どき知らぬ他人に名も告げず、上等の洋傘など貸せるものではない。この青年の眼には、そんな危険を逡巡することなくする立派な緊張があって、美しく澄んでいる。私から傘を突き出された青年は、「そうです。」と云っただけで、名を訊ねても答える様子もなく、ようやく、「松浦正吉です。」と低い声で云うと、礼など受けつけず、すぐ姿が見えなくなった。文明を支えている青年というべきだ。間もなく東京へ帰ろうとしている私には何よりの土産である。私がもしこの青年に会わなかったなら、東北に来ていて、まだ東北の青年らしい青年の一人にも会わなかったことになる。健康な精神で、一人突き立つ青年があれば、百人の堕落に休息を与えることが出来るものだ。

夜から雪が積った。

十一月――日

鳥海山も月山も真白である。東北に雪の降るのを見るのは私にはこれが初めてだ。もう長靴がなくては生活が出来ない。午後、菅井和尚が見え、釈迦堂で農会の人たちと座談会をしたいから出席せよとの事だ。私は承諾してから松浦正吉君について和尚に訊ねた。