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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
おそらく私はもう一度この村へ来ることはあるまい。そう思うと、石の間を流れる細流の曲りも靴を洗ってくれているようだ。
私は手荷物を用意してから、竹林の孟宗の節を眺め、降りて来る薄闇の中の山を見ていた。炉端から柴を折る音がしている。どういうものか私は庭の鯉が見たくなって覗くと、夕暮れの石垣の根に鯉は沈んでいてよく見えない。
「久左衛門さんがもうお見えになりましたよ。」と妻が云った。
黒い釣鐘マントを着た久左衛門が庭に立っていて、もう私の荷物を下げていた。私は炉端へ行って参右衛門夫妻に別れの挨拶をした。参右衛門の丸い膝頭が白くはみ出ている前で、礼をする私の眼から涙が出て来た。炉の煙が低く匐い流れている筵へ清江も並んでいる。
「一週間もすれば家内らも立ちましょうから、それまで宜敷く願います。」
出立といっても、今夜は、久左衛門が取って置いてくれた駅前の蕎麦屋で私は泊ることになっていて時間を気にする要もなかったが、待っていてくれる久左衛門に私もゆっくりは出来なかった。それに間もなく夜路は見えなくなる。
私は宗左衛門のあばにも挨拶に廻った。脚絆をつけた嫁が出て来たが、あばは留守だった。