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よるのくつ

夜の靴

横光 利一

――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页

青空文庫

いずれにしても、久左衛門には先祖がなく、自分が新しい先祖になる場合だ。どこの先祖をも追い越して、新興の意気を見せねば、生きて来た自分の努力の甲斐がない。

蓋を開けた結果は、久左衛門が断然一等になっていた。生きながら彼はいま戒壇院を睥睨しているわけである。ここのこの木牌室ほど県下で立派なものはないということだが、私も一度見た。金色燦爛たる部屋である。

私のいる家の参右衛門は、本来ならば戒壇院の最高段に位置する家柄である。しかし、彼一代に酒癖のため貧農になり下った結果は、まんまと別家の久左衛門に位置をとって替られ、危く死者の位置まで落しかけたが、村の一同の納金五円が普通のところを、彼は十円出すと云い張り、ようやく中壇で踏みとまらせた。

「いや早や、あのときは大騒動だったのう。」

と参右衛門が私に云ったりした。

農家がせっせと汗水たらして働き通す生涯の労働の大部分は、戒壇院の位牌の位置を現在のまま維持するためか、もしくは、自分の代に前より一段とも上にあげたいがためといって良い。仏の前で、先祖の位置を辱しめるということは、この山川の恵みを落すことになるという、伝来の観念は、農家の根柢から脱けるものではない。