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だいぼさつとうげ

大菩薩峠

中里 介山

37 恐山の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 254,021 字 · 495 页

青空文庫

しかるにあの時、役人の傍に一人だけ変な奴がいて、何か僕の周囲で、別な心持を持ってちょこまかしていたのが、いま思い当るのです、そいつが僕の手形を抜き取ったのです」

「人の手形を抜き取って何にするつもりだろう」

「何にするつもりか、それはわからんですが、単なる悪戯でもないでしょう。しかしです、もうそれと知った以上、詮議しても無駄ですから、僕は諦めます」

「あきらめると言ったところで君、これから旅行免状なしに、どこへ行こうとするのだ」

「手形は無くても、道路があり、足がある以上は、行って行けないはずはないでしょう」

「そりゃあ理窟というものだ、君はまだ旅というものを知らない」

と、改めて田山白雲は、この青年に教訓してやる心持になりました。

この青年は旅を知らないが、自分は知り過ぎている。旅というものは、足だけでできるものではない、行路の難というものは、山にあらず、川にあらず、ということを、一席聴かせてやることが、この際、後進に対する重大な教育だと感じないわけにはゆかないのです。

そこで田山白雲が、この青年をとらえて、旅というものの教訓を始めようとする時に、この茶屋の前がまたにわかに物騒がしくなりました。