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だいぼさつとうげ
大菩薩峠
中里 介山
41 椰子林の巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 178,374 字 · 345 页
しかし、御当人は、左様な噂を一切見えぬ後目にかけて、山科谷から、島原の色里にまで、影を追うて往年の紅燈緑酒の夢を見て帰ったという消息をもまことしやかに伝える者もある。或いはまた月光霜に氷る夜半、霜よりも寒く、薄よりも穂の多い剣の林の中を、名にし負う新撰組、御陵隊が、屍の山、血の河築くその中を、腥い風の上を悠々閑々として、白衣の着流しで、ぶらついていたという噂を、見て来たように話す者もある。それが今晩、またも、岩倉谷に現われたといったからとて、誰も本当にする者もない代り、嘘だという者もない。
前にも言う通り、気の利いたお化けならば、とうに引込むべきはずのところを、かくも性懲りなくふらつき出すのは、他の好むと好まざるとにかかわらず、白業黒業が三世にわたって糸を引く限り、消さんとしても消ゆるものではあるまい。大久保市蔵が岩倉谷に入ると、事実上、日本の枢軸は震動するのだが、この幽霊がここに姿を現わしたとて、もはや、草間にすだく虫けらも驚かない。
六十
夢遊病者としてもまた、虫けらを驚かすことを好まない。さりとて、岩倉三位をたずねて錦旗の製法を検究しようではなし、賀川肇の生腕をそっと掘り返して食おうというのでもなし。