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てんぐ
天狗
大坪 砂男
「宝石 七、八月合併号」岩谷書店、1948(昭和23)年8月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,545 字 · 19 页
何かあったらしい、行って見ましょうよ」
緑の褥も軟らかい真中に黒い裳裾は花弁となって笑い、白い二本の雌蕊が悦ばしげに延び上っていた。ああついに、喬子は妖しき花と化身して、いま黒百合姫の近代説話が誕生したのだ。佇む者心ごころのささめきに高原の沼はさらに寂寞と光り、食虫蘚をめぐって赤蜻蛉の群々はフェネラル・マーチをつづけている。
やがて人々は空を仰ぐ。見渡す限り山毛欅の林に囲まれた澄みきった初秋の空――そこに、口に出すのは恥じて言わずとも、天狗の影が、サッと羽ばたく幻が、誰にも見えたに相違ない。天狗でなくて何者が、かかる魔術を行えるだろう?
大学教授がまず動いた。沼を周って、考え深げに、谷とは反対側に歩いて行く。地面を調べ、蘚沼を覗き、振返って山毛欅の梢を注意している。笑止なり! 個の担板漢!
喬子は四十五度で発射され、角度六十で沼に刺さった。だが、頭部を没入した後に残った腰から下肢は遠心力で反対側にぐっと押しやられ、さらに膝の曲りも加わって、来たとは逆の方角から跳んだとより観られないのだ。否、否。教授を誤らしているものは彼の凡庸なる常識である。――人は正面から顔を下向けにして跳ぶものだ――と。