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てんま
天馬
金 史良
「文芸春秋」1940(昭和15)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,407 字 · 70 页
そこで何気なしにそれに目をやったところ、紙の一つの襞の方を大きな一匹の南京虫がのそのそ這い廻っているのを見て目を瞠った。思わず彼はにこりと笑いを浮べ、心持ち体を乗り出したのである。南京虫はあまりに血を貪り啜ったのであろうか、急に逃げ腰になってはいるが、赤く膨れ上り過ぎて足が云うことをきかぬらしく体を持てあましている形だった。時々辷って転げ落ちそうになるが、指先を持って行けば又慌てて逃げ出すのだった。もともと彼は南京虫が好きである。地べたにひっついて這い歩く様子が、自分の態によく似ているとでも考えているのだろうか。或はその図太さや狡さが好ましく思われているのかも知れない。それにおやこれは今まで自分の首筋を這い廻っていたのに違いない、さてはあのメロン頬の女から背負わせられた奴かなと思うと、何故かしらくすぐったいような腹立たしさを感ずるのだった。彼はいきなり肩をうねらせてひひひと笑った。が、おやっと思ってみるといつの間にやら、南京虫はすごすご急いで今度は襞の裏の方へ逃げ隠れようとしている。彼は素早くその一端をつまみ上げてそうっと裏返し、いかにも面白そうに飽くまでその行方を見守った。