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おうしゅうにおけるみたちふじわらし
奥州における御館藤原氏
喜田 貞吉
「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页
頼朝の勃興に対して京都でかくまでして、この富強なる秀衡を懐柔し、その後背を攻めしめようと試みたのは当然の所為であったのであろう。『源平盛衰記』にはこの年二月(あるいは閏二月)および四月の両度、頼朝追討の院宣を秀衡に下されたとあって、その四月二十八日附の全文までが載っている。これに対して秀衡は、「兵衛佐(頼朝)には草木も靡いてたやすく傾け難かりければ、由なしとて止みぬ」とあるが、しかし秀衡が頼朝のためには一大敵国であったことは疑いを容れない。頼朝が容易に鎌倉を去る能わざりし事情は主としてここにあったのである。またその二月の院宣というも事実であって、『玉葉』この年三月十二日の条に、
秀衡進二宣旨請文一。其状云、廻二籌策於魚麗之陣一、払二賊徒於鳥塞之辺一。云云。
とある。しかもその次に、「然而専難二信用一者歟云々」ともあって、果して秀衡がこれに応ずべきか否かは京都において疑問であった。同月一日の条にも、
伝聞、秀平可レ追‐二討頼朝一之由、進二脚力一、令レ申二前大将(宗盛)一。不レ経二院奏一、直示二報状一了。早々可二攻落一之由也。但秀平全不二動揺一。只以レ詞如レ此令レ申許也。