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おうしゅうにおけるみたちふじわらし
奥州における御館藤原氏
喜田 貞吉
「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页
ぬ。
ともかくも義経が秀衡に頼ったことは、鎌倉に奥州討伐の良い口実を与えたもので、頼朝奏請してしばしば院庁下文を申し下し、秀衡は凶賊義経を扶持して反逆を起したものとして、これを征伐せんことを希望したが、朝廷では単に義経を搦め進ずべき旨を下知し給うのみで、奥州討伐のことはどうしてもお許しがない。そのうちに秀衡死して、子泰衡は鎌倉の威に恐れ、文治五年閏四月三十日、不意に義経の居館を襲うてこれを殺した。かくてその飛脚が五月二十二日鎌倉に到着し、これを京都に奏上したについて、六月八日到来の経房の返報に、義経誅戮のこと法皇のことに悦び聞こしめすところで、義経滅亡のうえは国中定めて静謐なるべく、もはや弓箭を袋にすべきものなることの御沙汰があったのである。これまことに当然の御意で、頼朝の強請によって朝敵となった義経だにすでに殺されたうえは、泰衡はむしろその功を賞せらるべく、討伐を受くべき所由はなかるべきはずであるが、頼朝の真意は義経誅戮よりもむしろ奥州征伐であったに相違ない。
そこで彼は直ちに出征の準備に着手し、六月六日には北条時政の所願として、奥州征伐のことを祈らんがために伊豆北条の地に願成就院の営作を始め、また京都に向ってはしきりに追討の宣旨を奏請するに至った。