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おうしゅうにおけるみたちふじわらし
奥州における御館藤原氏
喜田 貞吉
「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页
結構の至り既に逆節に渉る者か。しかのみならず奥州・出羽の両国を掠籠し、公田・庄田の乃貢を輸せず、恒例の仏神事、納官封家の諸済物、其の勤め空しく忘れ、其の用欠けんと欲す。※(「(女/女)+干」、第4水準2-5-51)謀一にあらず、厳科遁れ難し。冀くは正二位源朝臣に仰せて、其の身を征伐し、永く後の濫を断たん。
とある。この「宣旨」が奥州において頼朝の陣営に到着したのは、すでに泰衡が殺されたよりも六日の後、すなわち九月九日であった。あるいは戦争の形勢泰衡に不利なるを知って後のことであったのかも知れない。さきに数回頼朝討伐の「院宣」を下し給うた後白河法皇から、また半月前まで泰衡追討を猶予すべく諭し給うた後白河法皇から、たちまちにしてこの討伐の命が発せられたことを思うと、実力を有する武家と虚位を擁する公家との当時の関係がよく推測せられて、頼朝が将軍の府において永続的軍政の例を開き、将軍陣中にあっては王命も奉ぜざるところありとの事実を演出するに至った形勢も察せられるのである。
頼朝、奥州征伐の決心を固うし、いよいよその実行に着手するに至っても、彼はその敵の容易ならざるを慮って、ただに武備を厳にするのみならず、しきりに神仏の加護を求めた。