轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

おうしゅうにおけるみたちふじわらし

奥州における御館藤原氏

喜田 貞吉

「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页

青空文庫

すでに述べた文覚江の島参籠と、時政願成就院の建立のほかに、六月二十八日には鶴岡放生会を引き上げて泰衡征伐の祈祷をなし、二十九日には愛染明王の像を武蔵の慈光山に送って修法を行わしめ、七月五日には駿河の富士御領帝釈院に田地を寄附し、十八日には伊豆山専光房に仰せて祈請を凝らしめ、ために梵宇建立を命じ、また出征の途中には宇都宮に奉幣して立願するところがあり、さらに鎌倉の留守においては、八月十日、妻政子が女房数輩を帥いて鶴岡に百度詣をなすなど、いずれも奥州征伐御祈祷のためだとある。

以上は『吾妻鏡』に見える限りであるが、また同じ八月に京都の東寺で泰衡調伏の法を修せしめたことが『東寺長者補任』に見えるのによると、他の社寺でも定めて同様のことが多かったのであろう。かくまでも彼は慎重の態度を執り、前例になく彼自身将として征途に上ったのであったが、泰衡の方ではもと闘志なく、一意恭順を旨としてさきには命のままに義経を殺し、次いで六月二十六日には弟泉三郎忠衡が、義経に同意しておったという理由でこれをも殺したほどで、とうてい百戦錬磨の鎌倉武士の敵ではなかった。八月九日、阿津賀志山の守りがまず破れ、二十一日には泰衡、平泉館に火を放って北に遁れ、はては北海道に遁れんとする途中、九月三日、部下河田次郎の変心によって肥内郡贄柵で殺され